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昔の雑誌にあった記憶術の広告とは?
昭和と平成の時代には、少年雑誌や青年向けの雑誌に、「記憶術」の通信教育の広告が結構あったものです。たとえばこれですね。
雷が頭に落ちているのか、稲妻(イナズマ)がスパークしているかのようなイラスト。あるいは、この稲妻はヒラメキと掛け合わせているのか。
とにもかくにも、一度見たら忘れられないインパクトのある広告です。
少年ジャンプ、ファミコン通信、その他の青年向け雑誌に、1ページを使って大きく掲載されていましたね。雑誌の裏表紙にも頻繁に掲載されていました。そんな記憶があります。
この広告は、ほとんどの人が知っていると思います。
この懐かしくもあり、一度見たら忘れない広告は、一体どこの広告だったのでしょうか?
広告は東京カルチャーセンターの記憶術通信講座だった
実は、「東京カルチャーセンター 記憶術通信講座」の広告でした。
昭和から平成にかけて、少年雑誌や青年雑誌によく載っていました。
「記憶術広告の定番」とも言えそうな「東京カルチャーセンター」の記憶術通信講座の広告ですが、いくつかのバージョンもありました。
マンガになっている広告もありましたね。たとえばこちらです。
とてもわかりやすいといいますか、訴求力がありますね。印象に残るキャッチーな広告です。
記憶術といえば「東京カルチャーセンター」と思い起こされるほど、多くの人の、それこそ記憶に残っています。
東京カルチャーセンターの記憶術通信講座は、確か2014年頃までありました。広告も、この頃まで雑誌に掲載されていたと思います。
大変記憶に残る広告で、宣伝広告としては非常に秀逸です。
ちなみに「東京カルチャーセンター」の全ての記憶術講座については、こちらでくわしくレビューしています。ご興味があればお読みになってみてください。
東京カルチャーセンターの記憶術講座とは?口コミ・評判・レビュー
記憶術と広告の歴史
それにしても「記憶術」は、広告に出ると、どうも胡散臭い感じがしてきますね^^;
いえいえ東京カルチャーセンターの記憶術が胡散臭いという意味ではなく、記憶術の効果を喧伝している文句自体が、スグには信じられないんですね。といいますか「嘘っぽい」^^;
なので「そんなに簡単に覚えることなんて本当にできるのかね?」「そんな都合のいいい話しなんかある?」と思われがちじゃないかと思います。
けれども、記憶術そのものに効果があることは確かです。私自身、市販の記憶術本を読んで、記憶術が使えるようになり、受験、資格試験、仕事、日常生活に使い、現在でも非常に重宝しています。
ですので、私としては、記憶術には効果があるとしか思えませんし、感謝の気持ちしかないんですね。
しかも記憶術の歴史を調べると、記憶術は確かに効果があるテクニックであり、実のところ、アカデミックや権威ある世界で使われ続けきたきちんとした記憶のスキルだったことがわかります。
記憶術はアカデミズムで使われていた
歴史を遡れば、記憶術のルーツは2500年前のギリシアに遡ります。記憶術は弁論術で使われたのが始まりです。
シモニデス~記憶術の起源「座の方法(ローマンルーム法)」【古代ギリシア BC500年】
キリスト教神学の暗記に記憶術を使う
その後、キリスト教の神学における教理暗記のために、記憶術は使われます。中でも煩瑣な「スコラ哲学」では記憶術が大活躍。
キリスト教の世界ではもっとも名誉であり最高位となる「聖人」に列せられた「トマス・アクィナス」は、記憶術を考案し、使用することを推奨していたくらいです。
キリスト教の頂点に立つような聖人が、記憶術を推奨しただけでなく、記憶術も考案しています。記憶術は極めて真っ当な記憶のテクニックなことがわかります。
哲学者も推奨していた記憶術
他には、哲学の巨人であったデカルト、ベーコンも記憶術を推奨していました。さらに知の巨人でもあったライプニッツも記憶術を推奨。
フランシス・ベーコンとルネ・デカルトの記憶術~学問で使う【16世紀】
実のところ記憶術は、アカデミズムの分野で使われてきた「権威ある記憶のテクニック」というのが本当のところです。
知的エリートや知的な人達は、こぞって記憶術を使い、考案し、記憶術を使うことを推奨していたくらいです。記憶術にはこのような知られざる「知的」な歴史があります。
19世紀以降の記憶術パフォーマンスが広告のルーツ
ところで、記憶術は、19世紀になると、その優れた記憶効果により世界中に広まり、知れ渡ります。
この広がりの背景には、「記憶術のビジネス化」がありました。
素早く大量に覚えることができる点を強調して、記憶術本を出したり、記憶術講座を開いて、お金を得る目的で記憶術が使われるようになります。きっかけはドイツ人のクレガー・ファイネーグでした。
記憶術がビジネス化すること自体は、決して悪いことではありませんが、これが「記憶術の広告」のルーツになっています。
19世紀は、瞬間的に多くのことを覚える「記憶術パフォーマンス」という大道芸人的な興業を行いながら、記憶術を宣伝し、受講料をいただいてビジネスにしていく動きが広がります。
これが、どこか大袈裟なパフォーマンス、山師の仕事にも波及していったのでしょう。誇大広告にもなりやすいですね。
で、この当時の「記憶術パフォーマンス」が、まさに広告の先駆です。
ちなみにこちらで19世紀の記憶術業界について解説しています。
日本では明治時代に記憶術の広告が登場
明治の時代になると、日本にも記憶術が伝来します。
- 井上円了「記憶術講義」
- 島田伊兵衛「島田記憶術」
- 和田守菊次郎「和田守記憶法」
これら3つの記憶術は、日本で初めて本格的な記憶術を披露しています。日本の記憶術の先駆けであり元祖です。
このときに新聞に広告を掲載しています。
ちなみに井上円了の記憶術は海外本を翻訳した記憶術になります。島田伊兵衛と和田守菊次郎の記憶術は、海外の記憶術を参考にしながら、オリジナルの記憶術を考案したものです。
明治時代の記憶術について、こちらでくわしく解説しています。
井上円了「記憶術講義」【明治27年】~日本の記憶術の元祖・ルーツ 島田伊兵衛「島田記憶術」は大阪の記憶術【明治28年】 和田守菊次郎「和田守記憶法」は東京の記憶術【明治28年】
和田守菊次郎は記憶術広告の元祖
このうち和田守菊次郎は、大々的な広告を打って、記憶術パフォーマンスも披露します。
当時の新聞に「万朝報」というのがあり、「和田守氏の大発明」という広告を出しています。で、帝国ホテルで大々的な記者会見を行い、記憶術のパフォーマンスを行います。要するに宣伝すね。
和田守菊次郎が先駆けになりますが、明治時代には大々的に記憶術の広告を出すことが始まります。
で、これがその後の日本における記憶術の広告の一つの潮流となっていきます。
※和田守菊次郎が、当時、新聞に掲載した広告
昭和の時代は渡辺剛彰氏が記憶術を流行らせる
その後、戦後の昭和の時代になりますが、1959年に渡辺剛彰氏が、NHK「私の秘密」出演し、記憶術パフォーマンスを披露します。
この番組で行った記憶術パフォーマンスがきっかけで、記憶術ブームが起きます。2年後の1961年に渡辺剛彰氏は「記憶術の実際―早く覚えて忘れぬ法」を出版します。
これがきっかけで、記憶術が日本大流行するようにします。「記憶術」といえば「渡辺剛彰」となります。
で、この流れを受けて、1980年代の半ばより、渡辺剛彰氏が監修した「東京カルチャーセンター 記憶術通信講座」が始まります。
で、大々的に雑誌に広告が掲載されるようになったという歴史です。
まとめ
記憶術とその広告には、このような歴史があったりします。煎じ詰めていいますと、
- 19世紀のファイネーグによる「記憶術のビジネス&広告」の始まり
- 日本では明治時代の1895年に和田守菊次郎が記憶術を流行らせる(記憶術パフォーマンスによる宣伝と新聞広告)
- 昭和時代の1959年、渡辺剛彰氏がNHKに出演し、記憶術パフォーマンスを行ったことで記憶術が流行
- 1985年頃、東京カルチャーセンターの記憶術講座が誕生し、雑誌等に広告が掲載
といった歴史があります。こうした歴史はほとんど知られていないと思います。
昭和から平成にかけては、雑誌に「記憶術の広告」が結構多く掲載されていましたが、記憶術広告の潮流は、日本の場合は明治時代に遡ることができます。
世界的な見地からいえば、19世紀のヨーロッパとアメリカですね。
元々、記憶するための真面目なテクニックだった記憶術ですが、その記憶術の効果を強調した宣伝広告のために、「怪しい」「胡散臭い」と思われてしまうようになったならば、ちょっと残念ですね。
しかし記憶術そのものは、ご説明した通りで、元々はアカデミズムで使われてきた歴史があります。物事を正確かつ素早く、そして多くを覚えるための「記憶のテクニック」だったということですね。
記憶術に接する場合は、記憶術の原点に立ち返って、冷静かつ客観的な姿勢から扱うようにしたほうがよいかと思います。記憶術は真っ当な記憶の技術です。
雑誌の広告に載っていた記憶術講座の宣伝を思い出して、そんなことを思ったりもします。
ちなみに現代では秀逸な記憶術講座がいくつか登場しています。中には「誰もが記憶術を確実に習得できるまでサポートをする」といった大盤振る舞いの講座や、画期的な記憶術も登場しています。令和の時代になって登場している記憶術講座のほうが安心できることは確かです。